産まれた!!

暑くて長い一日だった。夜中からなんだか胸騒ぎがして寝付けない。暑いんだろうか?いつもなら体勢を変えてしばらくすると眠ってるんだけど、今日に限って胸が苦しくなって目が覚める。

4時ごろだった。

隣で寝ていた奥様も気になったらしく一緒に目が覚めた。なんだか様子がおかしい。破水したかも。という。でも良くわからないくらいの量だ。朝になってから病院に電話してみる。という。何がなんだかわからん。まあ、本人がそういうのでその通りにしてしばらくまどろむ。実はこのときからちょいちょい痛みが襲ってきていたが今まで10ヶ月付き合ってきた痛みの仲間だろうと思って気づかなかったらしい。

8時。前の日からの痛みがひどくなったようで病院に電話する。破水したかどうかよくわからない。とりあえず1時間ほど様子を見てみることになる。実はこのときには定期的な痛み(陣痛)が数分おきに繰り返されていたらいい。

9時になったら病院にいこう、と本人の意思は固まる。今のうちにシャワー浴びて朝ごはん作ってくれろ、と言われて、「はいそうですか。」と言われたとおりにする。朝ごはんを一応作ったが、すでにリビングに出てくることも厳しい状態。とりあえずバナナジュースでも飲みなはれ、といって特製つぶつぶ入りバナナジュースを飲ます。飲めない。つぶつぶが大きすぎて気に食わんのか。実はこのとき陣痛の間隔は3分おきになっており、だいぶん行くところまでいってたわけだ。後で気づいたけど。

そうこうするうちに九時がきた。今から病院にいきます。はいどうぞ。車に荷物を積み込んで二人でマンションの階段を下りる。降りれない。足元はふらふら。大丈夫か?もうちょっとがんばれよ。

病院に着いて診察してもらう。すぐに分娩できる状態らしい。「お家でよく我慢したねえ。」助産婦さんが優しく声をかけてくれるが、こっちは意図して我慢したわけじゃないんだが。2階の分娩室に上る階段で一旦座り込んでしまうが、何とか立ち直って分娩室へ。1時間ごろ経って先生が分娩室におもむろに入室。

なぜか僕の前にも白衣とキャップが用意され、「立ち会うんでしょ?もちろん」的な視線。え、いいんですか?とかいいながら助産婦さんに促されて僕も入室。入ると先生が「ほら、頭が見えてますよ。もう少しです。」すでに場面はクライマックスに突入していた。「次痛くなったら大きく息吸って頭出しちゃいますからね。はい、今!」とか言われているうちに頭がポコンと飛び出す。この先生すげーな。完全にコントロールしてる。と思うが、後から聞くとすげーのは奥様の方でうまいこと少ない回数でポコンと頭を出せたようだ。

出てきた顔は奥様にはまだ見えない。僕だけ先に拝見。「オオー、髪の毛が黒々してるよ」が第一印象。まったく男は苦しみもしないでいい気なもんである。「さあ、次痛くなったら肩出しましょう。でそのまま全部出しますからねー」先生は一層調子付いてくる。ほら出てきたー。なんか肩とか腕とかがぷにぷにしたゴムみたいな柔らかさでどんどん出てくる。
「メェー。」何かヤギみたいな第一声だった。かくして、かわいい女の子が一人、この世に生を受けた。

やっとあえたね。

奥様も無事に生み終えた充実感で満面の笑みを浮かべている。これからはお母さんだ。
へその緒を切るときもずっとメーメーとなき続けている。元気がよさそうだ。

まだ血がべっとりついたままの子ヤギちゃんをお母さんの胸に抱かせてもらう。お母さんの胸の上だと泣き止む。人生の不思議を見た瞬間だった。


2005年8月7日11時33分。体重3172グラム。身長49センチ。

予定日より一週間遅れて心配したけど、見事に赤ちゃんもお母さんもがんばったのです。
これからはお父さんの出番だ。いい名前を考えてあげるから。

産まれた日の新聞を渡される。「郵政法案、否決確実」か。ちょいとがっくりするが、ばかばかしいのでやめる。この国に生まれたからってこの国のすべてを背負う必要はないんだよ。そいえば僕が生まれた頃はロッキード事件角栄逮捕、とか言う時代だったらしい。

外に出ると8月の青空。そしてせみ時雨。今日も暑く天高くいい一日だった。