坂の上の雲

新装版 坂の上の雲 (8) (文春文庫)

新装版 坂の上の雲 (8) (文春文庫)

通読した。何度読んでも味わい深い。末尾の解説にもあるが、この小説全体を通じて流れる通奏低音のようなものを感じる。最後の章「雨の坂」なんて特に素晴らしい。ゴールドベルグ変奏曲か、ブラームスの4番の最終章のような、気がつくと感じるほどの低い調べが全編を貫いている感じ。

そういえば入社した年の秋にこの本を読んだ。それが司馬遼太郎を読み始めるきっかけだった。そして、そのころバッハのゴールドベルグを聞いた。当時葛西に住んでいたので、東西線のあの殺人的なラッシュでゴールドベルグを聞きながら、もみくちゃになりつつ坂の上の雲に夢中になったことを思い出す。今でもこの本を読むたびに、特に旅順のあたりでゴールドベルグが聞こえてくる。

軍隊組織と企業組織

思い出深くもあり、読むたびに示唆にとむ本でもある。読んでいる自分の段階に合わせてそれぞれの気づきがある。初めて読んだときは、明治初期の明るく晴れた空に向かって、無邪気な夢を一杯に抱えた若者達に強い刺激を受けた。2度目はどんなだったか忘れた。3度目の今回は、「軍」という組織がとても勉強になった。戦争を遂行するためとはいえ、一つの目的に極限まで最適化された組織という意味で軍隊というのは、一つの理想形のように思える。どうしても戦後の教育を当たり前のものとして受け入れてきた身としては、戦争を遂行する軍隊を闇雲に「悪」と決め付けて思考停止してしまうことが多いけど、この本を今回読んでみると、正常な精神で運営されている軍隊というのは、特にその意思決定方法において、現在の企業組織にとても近いのではないか、と感じた。

この本で描かれる明治期の軍隊組織と言うのは、とても機能的だ。藩閥主義が濃厚だったり、すでに権威主義が見え隠れしたりするけど、基本として目的に近づく姿勢は謙虚であり、かつ精神論ではなく資源の計算に基づいて戦略を立てている。藩閥政治権威主義の権化と言われる山県有朋でさえ、「日本がロシアとまともに戦って勝つはずがない」という数量的な常識については、異論を挟まず、事実を謙虚に見つめて判断していて、その点、健全な組織だったことがわかる。

ただ、組織作りという点では、主人公である秋山兄弟が実力主義で大抜擢された反面、旧来からの藩閥意識(特に官軍びいき)がはびこっていたようで、人事が良かったのかどうかは不明。ただ、明治初期の日本独自の、「人材がいない」という説明不要のコンセンサスは大きく影響していて、秋山兄弟のような金もコネもない田舎から出たての若者に、ただ能力がありそうだ、という理由だけで軍のひとつの分野を任せたりしている。そういう意味では藩閥主義(今で言う学閥か?)と能力主義が相半ばしていたのかもしれない。

鍵は規律ではないか

ふと、アンディグローブの「Only the paranoid survive」の中で、会社を経営するうえで維持するべきこととして「ベンチャー精神」と「厳格な規律」というのを挙げていたのを思い出した。そう、まさに坂の上の雲に登場する人物に共通する通奏低音と言うのは、「規律」ではないか。彼らが、その場面場面で大本営なりの、参謀なりの、現場なりの判断をしていく。その判断基準として、「規律」という要素が大きく影響している印象を受けた。この戦闘に負ければ日本がなくなるかもしれない。というやや妄想的な痛切で切羽詰った危機感。その思いを共通して認識している人々の間に生まれる「厳格な規律」。

いかに易きに流されず、私情に流されず、あるべき姿を追求できるか、という問いへの一つの解決例を見た気がした。

インテル戦略転換

インテル戦略転換