ベートーヴェン:後期弦楽四重奏曲集

ベートーヴェン:後期弦楽四重奏曲集

ベートーヴェン:後期弦楽四重奏曲集

面白い(らしい)http://www.daiku-movie.com/という映画に使われていた、ベートーヴェン弦楽四重奏(しかも後期のやつ)が面白い(らしい)という話を聞いて、映画のサントラに使われている(らしい)タカーチ四重奏団のを買って聞いている。

確かにすごい。

ベートーヴェンの懐の深さに脱帽した。第9を書いたのとほぼ同じ時代に書かれているらしいけど、もはやこの作品群には交響曲第3番や5番や7番のような躍動感はない。かわりにウィーンの田舎、もしくはチェコハンガリーの大草原を思わせる土俗的な荒々しさと水墨画のような枯淡さが入り乱れているかのよう。前期、中期の作品では、美しい調和の中に閉じ込められていた感情が一気に解き放たれたかのような感じ。


大フーガ(作品133)なんて現代音楽の響きすら感じる。この曲が書かれた時代はロマン派がこれから咲き誇ろうとするころだったはずで、ワーグナーは10歳そこそこだったし、マーラーはおろかブラームスさえもまだ生まれていない。

大フーガ (ベートーヴェン) - Wikipedia

Wikiによるとこの曲が評価されたのは20世紀に入ってからだとのことで、長年日の目を見なかったらしい。実際評判が悪かったらしく、この曲がもともと収まっていたカルテット第13番には作曲者自身が別の終楽章を作成していたりする。

もしかすると理解してもらえないこと前提で書いた、とか言う話かもしれない。

ベートーヴェンなんて、教科書に出てくるような厳格で自信に満ちた保守的な人だろうなんて勝手なイメージで、ちょっと前まで食わず嫌いだったんだけど、いい演奏に出会ってじっくり聞いてみると、ぜんぜん違う印象が湧き上がってくる。「ベートーヴェンは気難しくて近寄りがたかったけど、話をしてみると結構面白い人だった」という感じか。

この人の若いころはハイドンモーツァルトの全盛期。古典派の巣窟のような時代。そこに長大なソナタ形式、やかましいほどの金管楽器を多用して新しい時代の交響曲で殴りこんだ。かなりの異端児だったに違いない。

確か去年のNHKのBSだったと思うけど、BBCかどっかが作ったベートーヴェンに関するドラマがあって、交響曲第3番を初演するに至る過程が描かれていた。当時の聴衆やパトロンが、長すぎる楽章、多すぎる楽器、下品な金管楽器の咆哮に辟易している様子が描かれていて、それでもベートーヴェンだけが得意顔で「どうだ。すごいだろ」とのたまう。それを見ていたハイドンが呆れながら「明日から音楽の歴史が変わるだろう」と言い残して席を立っていく・・・。という筋だった気がする。

この人の音楽を聞くに従って、まさにこの「やんちゃな革命児」的な印象がどんどん濃くなっていく。そして今回最後のカルテット群を聞くと、その「やんちゃ」さは最後まで健在で、古典派を超えて自分が歩いたロマン派の、さらに先にある無調性のような世界まで「やんちゃ」な目線に捕らえていたのかもしれない。だからこそ、そこまでの先見性は普通の人々には受け入れてもらえないな、ということを理解して、大フーガの代わりになる終楽章を書いたのかも知れない。


タカーチ四重奏団の演奏は、ちょっとやりすぎでは?と思うほど、感情がストレートに表現されていて、圧倒される。アルバンベルグのような完成された調和のアンサンブルよりも、より土俗的なこちらの方が当時に思いをはせるにはいいかもしれない。