ウエブ時代をゆく

読んだ。はてな使っている身として義務かな、と思って衝動的にやった。

今は反省している

というのはうそだけど、このところばたついていて読みたい本が山積している中、それらの優先順位をぜんぶひっくり返してMTGの合間に通読した。


ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書)

ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書)


残念ながら「生きるために水を飲むように」はのめりこめなかった。自分の海綿体が吸収する能力が鈍ってるからかもしれない。が、内容的に読み応え十分。一回読むだけじゃ上っ面しか理解できていないということなんだろう。

去年のベストセラー「ウエブ進化論」の続編としての位置づけだけど、全体としてその切り口が大きく変わっていることに驚いた。

前作では、(おそらく意図的に)「馬車が鉄道に駆逐されたように、リアル世界はネットの世界に駆逐される」的な過激な文脈で「ネット世界」を主語とした展開が多かったけど、本作ではがらりと趣が変わって「あなたの人生」が中心になっている。

極論すればウエブとかネットとかいうキーワードを抜きにしてもこの本は成り立つなと思った。「自分の好きなことや適正をどうやって見つけて、どうやって食っていくか。という数百年前からのテーマに梅田望夫が答えた。」という位置づけかなと思う。ネットの世界が広がったことで、どうやって食っていくか、のルールと選択肢が大きく変わったぞ、と。

僕はこの論旨にすごく共感できた。というかすっきりした。梅田さんは預言者でも宣教師でもなくて、人生の先駆者として若者に助言を与えているんだな、と。しかも必死になって助言を与えてる。という強いメッセージを感じた。

当たり前だけどネットはあくまでも手段に過ぎない。という前提の下、手段であるネットというのが、かなりの確からしさで充実していくだろう。そうなると、私たち個人の生き様におけるオプションが増えていくだろう。すると個人と企業の力関係とかいろんなところの風通しが良くなるだろうし、結果的に大きなパラダイム転換が起きるんじゃないか。

という彼の論旨は基本的にぶれてないんだけど、それを「ネットってすげーよ」という文脈から「僕たちはどう利用すればハッピーになれるか」という文脈に転換することですっきり腹に落ちた感じ。

最後の方で、「リアル社会」と「ネット社会」を「旧来の国家」と「アメリカという人工国家」のアナロジーで捕らえているあたりが印象的だった。

その国の文化の重みで押しつぶされそうになる旧来国家の住人から見ると、アメリカという国家の存在は希望の象徴であったように、階層や狭い人間関係にがんじがらめになりがちなリアル社会にとって、オルタナティブとしてネットというもう一つの世界が存在し、そこが充実していくことで可能性や選択肢が広がるのだ、と。

文中で司馬遼太郎の著作を引用していたけど、本のタイトルも『街道をゆく』のアナロジーだったんだ、と読後に気づいた。

前作のウエブ進化論を読んだ時は、衝撃を受けた。その衝撃は僕の人生に何度かしかないくらいのインパクトをじわじわと与えて、自分のキャリアを本気で考えて、キャリアチェンジするという一連の営みの大きな原動力になった。続編である今作がこれから僕の中で化学反応を起こすことになるかもしれない。われながら固唾を呑んで見守りたい。

街道をゆく (1) (朝日文芸文庫)

街道をゆく (1) (朝日文芸文庫)