証券取引処理はコモディティー化していたのだ

そしてもう一つの衝撃が「東証が止まるなんて」ということ。投資のビジネスがいまや一社のシステム基盤に依存しちゃってるという当たり前だよ、な事実を改めて突きつけられた感。去年からにわかに注目を浴びていた問題だったけど、今日のニュース見たときは、同じシステム屋としてなんともいやな気分の脂汗が背中に走った。証券取引とか決済管理とかの世界はとうの昔に「処理業者」のような役割になってしまっているのだよ、と告げられた感じというところか。

いかに多くの処理をいかに早く捌くか、ただそれだけ。皆から「そんな簡単なことをなんでもっとたくさんこなせないの」と突っつかれる。証券取引という行為が高度に定型化されていて、そこに判断の余地や付加価値をつける要素がない。だから早く多く安くの3つしか顧客から要求されない。うー、どこかで聞いたフレーズ。

コモディティー化だ。証券取引の「取引所」機能はコモディティー化しているのだ。トラック100台分くらいのサーバーとストレージさえ買ってきてつなげば誰でも作れるんでしょ、くらいの評価なのだ。

今の東証は取引機能だけでなく上場の審査機能とかぐちゃっと一まとまりになっている。だからコモディティー化に気づかないのかもしれない。東証の取引部分だけを切り出してみてはどうだろう。それを請け負うむちゃくちゃ筋肉質な「処理業者」に特化した企業がいくつか参入してくる。東証は単に証券会社からの注文の振分だけをやる。どこかの業者がしくじったら、別の業者にその処理を再振分する。ディスパッチャー機能だけなら東証の役割はかなり軽くなるはず。あとは東証の仕様にしたがって各社に処理をさせておけばいい。ディスパッチはラウンドロビンで振り分けて処理件数に応じて手数料を支払う。よくこける業者にはペナルティーを課す。東証から見るとまさにオンデマンド。取引機能自体に市場原理を働かせて東証の効率は上がるし、「取引処理業」という新しい分野を育成できるし、一社に頼らない分投資家に提供する品質も上がる。っていう一挙三両得という案はどうだろう。