東京国際フォーラムラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン熱狂の日」音楽祭2006〜モーツァルトと仲間たち〜に行って来た。モーツァルトイヤー - cafe@永福

10時開演ということで、朝もはよから丸の内に出かける。着くと会場は子供づれでごったがえ。

チケットとったのは一番大きなホールのやつで、5000人も入るところだった。0歳からのコンサートという副題が付いた会ということで、お客さんはほとんど小さな子供づれ。もう演奏が始まるよ、というのに会場はざわざわ、ごそごそという感じ。いつもは大声自慢の遥夏チンも今日はちょっと周りに押され気味。

席は2階のかなり上のほうで、天井がググッと迫ってきているところ。この感じ。大阪のフェスティバルホールの最上階に似ている。あの席からだと朝比奈隆が米粒くらいにしか見えなかったなあ。とか思い出した。今日のホールはかなり広いけど、ステージが割りと大きく見える。不思議。

泣きだしたりオムツをかえたりで、会場を出たり入ったりする人もたくさんいて、いつもの演奏会の雰囲気とは全然違う。そもそも朝10:00だし。こんなに早いコンサートって日本じゃほとんど縁がない。

で、1曲目のドンジョバンニが始まってからもその雰囲気は変わらず、あちこちで叫び声やぐずぐずいう声が聞こえてくる。でも不思議なことにほとんど気にならない。手元に同じような爆弾(娘)を抱えているから、ということもあるかもしれないけど、めちゃくちゃ広いホールでざわついた雰囲気の中で音楽を聴くっていうのも自然な姿のような気がしてきた。例えば野外のサマーコンサートなんてこういう感じなんじゃないだろうか。沈黙の中で緊張しながら全身全霊で耳を傾けるような、いつもの演奏会の方が異常な姿に思えてくる。

そもそも、クラシックの演奏会って、暗黙的にマーケットを選別しているなと思った。自主的に沈黙を保てる+1時間じっとしていられる人のみしか参加できない。ただ、その条件を守れない時期って結構ある。小さい子供は当然ながら、その子供を持つ親の世代も暗黙的に演奏会の市場から退場させている。だから、客は学生とかお年寄りとかに限定されて固定化されるし、固定化した客層では新しい風が吹きにくくなる。だから市場が閉塞して尻つぼみになってしまう。演奏会に託児所をつけるのは慈善事業じゃなくて、パイを広げるための貴重な一歩だ、というくらいの認識で取り組んで欲しいなあ・・・・とか思った。

そんな感じで、演奏会をやる状況としては最悪のコンディションと言い切れるくらいの状況にもかかわらず、司会と指揮をやっていた沼尻さんが、がっつりとお客さんの心をつかんでいたのには脱帽させられた。よっぽど心が広いのか、手慣れているからなのか。並の神経を持った音楽家にはこんな状況で精緻なアンサンブルをあわせられない気がするが。

ともかく1時間くらいの演奏会を不思議な気分で過ごした。遥夏チンは1曲目のドンジョバンニのみ、何とか音楽に興味を持ってくれていた(ように見えた)。2曲目以降は何かグダグダになってしまって眠いのか窮屈なのか始終不機嫌だった。幸いなことに、向こう三軒両隣が押しなべて遥夏チンと同じくぐずったり、椅子を蹴っ飛ばしたりして騒いでくれたので、肩身の狭い思いをすることはなかった。どちらかというと、周りの子よりも遥夏のほうがいい子ちゃんでいてくれていた。こうしてコンサートデビュー終了。また一歩大人の味を覚えたね。

外に出てみるとすごい人。連休の4日間で200くらいの公演があるらしいのだけど、とにかく国際フォーラム全体が賑わっていた。いいな、と思ったのは展示ホールでのフリーな感じのコンサート。展示ホールの真ん中にステージがあって、その周りをぐるっと人が取り囲めるようになっている。ちょっとした椅子やテーブルもあって飲食自由、出入り自由。曲の途中から入って、しばらく聴いて途中で出て行くという感じがいい。

この企画、全般的によかった。若い人がたくさん来ているのがいい。来年もまたやるらしい。ぜひやって欲しい。去年がベートーヴェン、今年がモーツァルト。来年はなんだろう。