のだめカンタービレ

のだめカンタービレ(16) (KC KISS)

のだめカンタービレ(16) (KC KISS)

本全部読み終わった。すごく面白い。というかなんか懐かしいような不思議な感覚だった。この物語の舞台は音大だけど、音大ほどレベルが高くなくても、学生オケとかアマオケとかやってる人々の世界と言うのはほぼ押しなべてこんな世界ではないかと思う。

作品自体がコメディとしてみても超一流。さらに素晴らしいのは、千秋とのだめという人物設定が絶妙で、そういう人周りにいたなあ、と思わせるキャラクターを見事に作り出しているところ。もちろん僕の周りにいた千秋やのだめは、この物語ほど天才肌ではなかったし、プロで通用する技術もなかったけど、こういう人って結構いるもんだった。

特に千秋ってのはどのオケにも必ずいるんじゃないかと思う。ドイツの保守本流をこよなく愛し、規律と厳格さを追求する。重厚でまっすぐな音、折り目正しいボーイング、硬いアタック・・・。ブラームスもしくはワーグナーについて朝まで語ることができる。ロシアモノを軽く見る。そんな印象。ひそかに指揮の練習をしていて、トレーナーの先生が来れない時とかに代振りをお願いされるととても喜ぶような愛すべき人物。たいていの場合、本職でもないくせにマイ指揮棒を持っている。

のだめの方も、世間一般に比べると音楽の世界には多いように思う。こういう人の天然ボケぶりは、音楽の才能に比例していそうだ。僕の知っている限り、お金に苦労したことがないお嬢様が多かったが、それはのだめではなくてもえちゃんかおるちゃんの方なのかもしれない。

で、これ読むと改めて音楽の世界って厳しいよな、と感じる。音楽に限らず芸術一般にあてはまることかもしれないけど。バーンスタインが1回目のPMFのときに「あなたが、自分は音楽家になれるだろうか、と疑問に思ったのだとしたら、音楽家としてはやっていけないと思う」と禅問答のようなことを行っていたのを思い出す。そんなことは疑問にすら思わず、おれが世界一うまい、と思える強烈な自信がないとこの世界やってけないよ、と言うことだと思う。

千秋とのだめの場合、いろいろな葛藤や挫折を味わいながらも、パリに留学してなんだかんだで音楽家としてのキャリアを歩みだそうとしている。けど、そこまでいけずに終わる人のほうが圧倒的に多い。どれだけがんばっても、プロになるためのいくつものハードルのどこかでつまずいて、それより上に上がれない人のほうが多い。

音楽をやってる人は、誰だって一度くらいは千秋やのだめのように、自分の思いを音で表現したり、あわよくばそれで飯を食っていければと思うものだ。と思う。

僕もそう思ったことがある。でもできなかった。自分で多少なりとも音楽をやって、一つだけわかったことは、音楽ってのは、ある程度の才能がないとうまくならないんだな、ということだった。いくら時間をかけても、いくら工夫をしても、「君はここまでだよ」という線が引かれている世界。自分が大学時代を通して音楽と付き合ってみた結論として、そう教えられた気がする。これはとても衝撃的で残念な発見だった。そんなことはない、と否定したかった。

だけど、今振り返ってみても、その結論は違っていないと思う。僕の場合はむしろ、あまりに才能がなかったおかげで、かなり初歩の段階でつまずいたので、傷が浅くて済んだといえるかもしれない。

そんなふうな音楽を通した経験は、僕の人格形成に結構影響していると思う。自分の(かなり浅い)限界を知った。それゆえ、自分の力を生かせる世界を仕事の場で見つけようという動機付けになったし、どうやらビジネスの世界は自分には向いているようで、今のところその動機付けを維持できている。

以上、昔話。

で、そんな挫折を味わうことなく突き進む千秋とのだめが、今後プロへの階段を上っていっても、破局に向かうことなく大団円を迎えて欲しいと願いを込めて次号を待つ。この二人のモデルがバレンボイムとデュプレでないことを祈りつつ。ちなみにミルヒーのモデルはバーンスタインだろうか?だとしたら千秋のモデルは佐渡裕?全然タイプ違うな。

テレビの方もなかなかマニアックなつくり。演奏シーンが多くてのだめの音を聞けるのがうれしい。ベートーヴェン7番のピアノ演奏の部分なんて嬉々とした魂を感じた。今週のラフマニノフのピアコンもよい。ただ、月9を見る普通の人が楽しめる内容なのか不安・・・。下北サンデーズみたいに前倒し打ち切りなんてことになりませんように。