売り手と買い手の力関係


昨日マンションの市場の力関係のことを考えながら、PC市場なんて本当に買い手優位だよなあ、と考えていたら、今日こんな記事があった。

「自作PCに未来はない」 (1/3) - ITmedia PC USER


老舗PCパーツのショップ社長が嘆く。

ただ、成功のあまり一線を越えてしまったんです。まともな利益を確保できるラインを越えて安売りを続けてしまった。こうなると、周囲のショップも限度を超えた価格に合わせていくしかなくなります。(中略)
これは一般論だけど、“価格を破壊するとその産業自体が壊れ”ます。自作PC市場はその典型になってしまいましたね。

だと。

買い手優位市場の教科書のようなPCパーツ市場は、裏返すと売り手にとって地獄のような市場。考えてみれば当たり前なんだけど、生の声には重みがある。想像していたよりも悲惨な状況のよう。

アキバのPCショップで元気なPOPとかもはや躁状態かと思うほど安値を連呼している店員とか見ると、「なんかお祭りみたいですごいなあ」とか思ってたんだけど、考えが改まった。

老舗店長が言うところの「安売りを続けてしまった・・」というくだりは、製品自体がコモディティ化したことと関係があるように思われる。ようは「素人でも部品さえ買って帰れば特別なスキルも手助けもなく用事(PCを組み立て、使う)を済ませられるようになった」ということ。

なので正確には安売りを始めたショップが悪ではなく、製品がコモディティ化した以上、いつかは価格競争にならざるを得ない状況だった、ということだろう。(まあ、そんなことはどうでもいいけど)

トーマス・フリードマンがWorld is flatの中で語った「世界は一つのフットボール上になった。あるのはプレイヤーか観客かの違いだけだ」という言葉。梅田先生も「チープ革命」のくだりで似たようなことを言ってたが、この言葉の意味がじわじわと伝わってきた。

確かにフットボールの観客たる消費者にとっては、こんな天国のような状態はない。世界の最先端のテクノロジーを劇的な安価で入手できる。しかも待てば待つほど安くなる。が、そのフィールドの中のプレイヤにとっては、とんでもなく過酷な状況だということ。部品を供給するメジャーなサプライヤも痛いが、その下流の卸・小売なんてのは、規模も小さいし、日銭を稼がないと会社が続かないし、まさに火の車のようなビジネス環境にならざるを得ないのかもしれない。

普通に考えると、市場が成熟すると卸や小売のプレイヤの集約が始まって、スケールで薄利を補う動きが出そう。あとは、より上位市場への移行。そういう意味で、老舗店長のとる「高級部品へのシフト」というは理にかなっている。

いづれにしても、世界がフラットになって、僕らがチープ革命の恩恵を受けている「我が世の春」状態が果たして長く続くものかどうかよくわからなくなってきた。