iPhone 衝撃のビジネスモデル

どうも仕事の調子が乗らないので新書を買って読んだ。

iPhone 衝撃のビジネスモデル (光文社新書)

iPhone 衝撃のビジネスモデル (光文社新書)

まず前半。Web2.0の現状を総括。ここは納得。
技術的な「システムのモデル」と「サービスを提供するモデル」はできた。が、「収益のモデル」がないよね、と。ない、というより昔ながらの広告モデルしかないじゃないか、と。この辺は世の中一般の評価が、コンパクトにまとめられている感じ。昨年梅田さんがとっても楽天的に語った世界が、1年後どういう評価になっているかということ。

収益モデルが確立できない原因を、インターネット上で安全に課金する仕組みが未熟で面倒であることに求めている部分が、ちょっと??だった。それが大きな問題なんだろうか?

で、次にユビキタスの話。ここがこの人の得意分野なのかやけに詳しく書かれていてわかりやすかった。未来の夢物語でないユビキタスのまじめな話なんて始めて読んだかも。
ようは、家の中も外もあらゆるところにコンピュータだらけになったら、便利どころか不便でしょうがないよね、と。冷蔵庫を開けるにしても画面から何かを選んだり、パスワード入力が必要だったり、恐ろしい世の中になりかねない、と。

ようはユーザーインターフェースが乱立する世界はよろしくない。

解決方法は二つ。
一つは、全ての機器に共通のインターフェースをつける。例えばすべてWindowsの画面にしちゃう。でもWindowsはあくまで基本ソフトなので、基本操作は共通化できても、その上位のアプリケーションのインターフェースはどうがんばっても個別になってしまう。
もう一つは、各機器はばらばらのままで、それらの機器に命令を出す統合的な端末(フェデレート端末を使う。自分が使うのは一つの端末だけで済むので、個別の機器の使い方を覚える必要はない。

で、そのフェデレート端末になりうるのがiphoneじゃないか、という話。前置き長い。

以後、インターフェースとしての携帯の潜在能力、その中でも全面タッチパネルであるiphoneの優位性が延々と語られる。このあたり、この人のappleiphoneへの思い入れが強すぎて、ちょっとついていけんかった。まあ、iphoneだからいいのではなく、こういう方向のイノベーション全般が有望という主張。

で、Web2.0の収益モデルの解は、携帯の課金システムを利用することにある。となる。

ipodがネットの音楽配信の収益モデルを作ったり、若者の日常生活にインパクトを与えたように、Web2.0に収益をもたらし、ユビキタス社会の幕を開けるのは、iphone的な端末発のビジネスモデルだ、という話だった。

ケイタイの可能性

ケイタイ電話というもの。僕は完全に後れを取ってしまって、いまだにおサイフケイタイもモバゲーも使ったことない。20代後半以上の世代としては、「ネットみたいならPC使えよ。あんな小さい画面と10キーでよく満足できるな?」とか「パソコン使うリテラシーない人が使うもんでしょ」とか「ケイタイのパケ代って不当な値付けでキャリアに搾取されているだけ」としか写らない側面もある。

どうやら僕には先見の明がまったくないらしく、この人が説く「タッチパネルの汎用性が次の時代を作る」という話がどうにもピンと来なかった。すでにカメラもGPSもついてるし、テンキーでもそこそこいけるのでは?という感じ。

が、この人のいうように、ユビキタスな時代が訪れる(?)のであれば、今のケイタイのポジションというのはかなり強力な気もする。

最近じゃ、家の蛍光灯にまででっかいリモコンが付属される時代らしく、操作方法の学習コストがどんどん高くなるのは容易に想像がつく。

この間銀行の人と話していて、「普段キャッシュカードなんて持ち歩かないお年寄りでもケイタイ電話なら持ち歩いてるんだよねー。」という話を聞いた。

こういうお年寄りは、キャッシュカードなんて使わないので、ATMの使い方もよくわからず、簡単な入出金の用事でもわざわざ並んで銀行のカウンターで取引している。そのために通帳と印鑑を持ち歩いているという。

銀行としては通帳とかなくしたいけど、こういうお客さんがいる限り、今までどおりのサービス形態(通帳と印鑑で認証して、お客さんが伝票を書いて、銀行員が入出金のサービスをする)を残さざるを得ない。

ケイタイなら持っているんだから、キャッシュカードの機能をケイタイにつけて、ケイタイのFelicaと指紋とかで認証するように変えれば、銀行から通帳記帳機や印鑑照合のシステムはいらなくなるし伝票を介したやりとりとかも簡略化できる。まあ、その前に銀行に来る用事がなくなるかもしれないが。

ケイタイという機器が、特定の世代だけじゃなくて、遍く広い世代に普及して、ハンカチや時計と同じようにほとんどの人が身につけるような存在になると、確かに今まで当たり前だったサービスのあり方にも何らかの影響があるのかも、と思った一冊だった。