名前2

何かこのところ押し出し感も最高潮という感じで歩く様も威風堂々という感じ。もういつ産まれてもいいくらいになっているらしい。下図は目覚まし時計をおなかの上に据えた時の図。どっしりと微動だにしない。


前回に続いて名前を考えてみた。ぼんやりと、時に明確に。今回は男の子編。まだどっちが生まれるかわからんのです。

大体こんな感じか、というのが決まったところで、ふと名前を決めるときの基準とかを思い返してみた。(こんな基準ってのはどれも後付で考えるもんなんだなと思う)。

名前を決める基準

  1. 聴覚(音。響き)
  2. 視覚(文字の並び。デザイン)
  3. 意味(文字や文字の並びの意味)

無意識にこの順番で考えていたように思える。前にも書いたが姓名判断なんて気にしない。(一応ネットで入力して結果把握するけど)

まあ、名前に何を求めるかは人それぞれなんだろうけど、僕は親は親・子供は子供で別の人生・別の人格として成長する方が自然という考え。なので、名前が子供の将来を左右するとかいうのはまっぴら御免だし、一生安泰にすごせる名前を、とかはあまり考えない。生まれる前から一生を規定されるなんて、そんな無責任な話は子供にとっても迷惑なだけだ。

けど、そういう考えをあまり突き詰めていくと、名前は単なる個体を識別できるシリアル番号でいいじゃん、とか言われて殺伐としてしまう。だから、こう考えた。

  • 名前ってのは親が子供に与える最初のプレゼント。

だから、今は自分の好きな音とか文字とか自分の思いを名前に託してプレゼントしてあげようと思っている。これはたぶんエゴだと思うが。そのくらいのエゴはこの世に生まれる代償として受け入れてもらいたい。

で、いくつかの要素のうち、名前が果たす機能で考えると、何より記号としての「音」を一番に考えたい。漢字が読めない外国人も響きとしての名前は認識できるわけで。これも自分たちが呼びやすい(人にかわいがってもらえるような)音を勝手に選んであげた。

さらに響きに続いて、デザイン。日本人は漢字を使ってて、まああと100年くらいはその風習は変わらないだろうから、姓と名を並べたデザインが美しくあってほしい。これもかなり主観的。

で、あわよくばその響きや文字の並びに意味をもたせられたら言うことはない。

が、これが非常に難しい。