仕事のできない人

出世してきてわかったこと

1.馬鹿は馬鹿として切り捨てろ
2.自分より優秀なプロパーがプロジェクトに入ると思うな
3.馬鹿の意見を聞くな
4.信頼できるやつとできないやつを判断しろ
5.所詮は株式会社
6.出世しろ
7.まとめ

おそらくシステム関連のPMと思われる切れ者が書いたエントリー。年も近い。「わかるなー」と言えるほどの分際ではないけども、わかる。文章から湧き上がってくる「成り上がりたい」感もすごくわかる。

「馬鹿」とあるのは「仕事のできない人」のことで、これに関連した振舞い方はいわゆる係長とか課長とか中間管理職的な人々の悩みの種だろうと思う。

実際このエントリーのような考えを貫いている人はいるし、そういう人は大概若くして出世しているのも事実だと思う。自分もそれに近い振る舞いをした経験がある。人の人生になんか構ってられるか、と。追求すべきなのはプロジェクトの成功であって、自分以外の誰かが成長するかどうかまで面倒見切れんわ、と。自分より年上の人の場合は特にそう思う。

だけど、その手の考え方って時とともに変わっていくんだろうなとも思いはじめている。変わる要因が、自分の経験なのか、単に年を食うことなのか、何かはよくわからない。そもそも「仕事できる」と「できない」の違いは何かよくわからなくなってもいる。

たとえば、一緒に仕事をしていてもずっとピントが外れていて芽が出なかった新人の子が、何かの拍子に目を輝かせてプロジェクトに貢献し始めたりする。40過ぎたやる気のないおっさんが、ふとした一言をきっかけに生き生きとお客さんにプレゼンしてくれたりする。

「仕事できない人」が「できる人」に変わる場面に立ち会うと、無性にうれしくなる。自分のプロジェクトの成功は最重要ではあるけど、一緒に働いた人が成長するとか調子を取り戻す、自分の存在で人がいい方向に変わっていく、というのも仕事の醍醐味だなと、最近思い始めた。きれいごとを言っているわけではなく。

会社ってシステムは何もしなければ何も返してくれないが、自分が利益をあげれば、それなりのお金と地位をくれる。

というのには、100%同意する。同時に

チームってシステムは何もしなければ何も返してくれないが、自分が人の成長をサポートすれば、それなりの自信と喜びをくれる。

のもまた真なりかなと思う。

きっと100年前から語りつくされている類の話だろうけど、そういうのをひとつずつ自分で経験してわかっていくのが人生なんだろう。